【心霊スポ凸】船岡山公園内にある建勲神社に行ってきた。
船岡山公園・続編だよっ!!!
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建勲神社で幽霊を目撃すると祟られるという噂があるのでくれぐれも幽霊を見るように注意をしなければいけない。そう意気込みながら船岡山公園を一度出て、建勲神社参道から入って行ったよ(^◇^)
参道の坂道を登って10分後の看板。
神社系で何が一番怖いって参道が長いからもし何かいて猛ダッシュしたければならない状況のとき、ダッシュする距離が長いことなんだよなあ。もう諦めて喰われる覚悟さ。
木が何となく不気味。進行方向が真っ暗で本当に怖い。今までで一番怖いと感じたかもしれない。懐中電灯を携帯した方がいい気がするんだけど片手にカメラを持ってるし両手が塞がるのは何となく嫌で無理なんだよね('◇')ゞ
潜入から20分経過くらい。
坂道はきっついの~。
階段を登り切ったところ。
看板の背にも階段があって登り切った処に手水舎があったと思う。街灯なんか無いし撮影なんて無理ゲーでした。地図を拡大すれば分かる通りで敷地は結構広い。
建勲神社内にて一眼レフで撮った最後の写真はこれ。今回は新しい心霊写真が撮れるような気がしたけど無理だったわあ。怖損した~~。
帰り道。マジ舐めてんのかってくらい暗い事が伝わると思う。
建勲神社の感想メモ
有名人、織田信長を祀った神社で魔界のパワースポットとも言われている。船岡山自体が心霊スポットであり、武士や侍など古い霊の目撃情報がある事から神社も何かしらありそうと思っていたけどふつうの神社だった。普段から行くような夜の神社では抱かないような恐怖が沸いてきたのは心霊スポットいうバイアスがかかっていたからだと思う。
船岡山は歴史から見てたくさんの血を吸った土なのだ。
船岡山公園の記事で先述した通り、ここは戦場でありそれ以上に遡ると風葬地だった。京都には三大埋葬地があり、この辺りは蓮台野と呼ばれていた。
東の鳥辺野、西の化野、北の蓮台野。
京都で野がつく地名は死体が転がっていた場所だと覚えよう!
紫野なんかもそうらしいよ。千本通りは卒塔婆が何処までも続いていて卒塔婆が千本ある通り、と言うところから付けられたらしい。昔の人の地名をつけるセンスは適当だよねえ。
関東の家にある画集の写真を添付したいんだけどここは京都なので拾った絵でごめんの。平安時代では偉い人の遺体も野晒しだった事もあったんだよ。
風に預けるのを風葬
鳥に委ねるのを鳥葬
火に任せるのを火葬
土に託すのを土葬
そしてここ蓮台野は風葬(`ω´)
私のバイブルである徒然草にも蓮台野のことが書いてあったりする。
あだし野の露消ゆるときなく、鳥部山の煙立ち去らでのみ、住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
口語訳
あだし野の露は消えるときがなく、また鳥部山の煙が立ち去らないでいるように、人が永遠にこの世の限りまでこの世に住み続ける習わしであるのならば、どんなに物の情緒というものがないことでしょう。この世は無情であるからこそ素晴らしいのです。
そんなわけで人は絶対に死ぬ。
だからこそ命ある限り私は全力で幽霊を実証していきたい。生きてる世界の外側を知りたい。生きているうちに全力で取り組まなくちゃ(`・ω・´)
でもめっちゃ暗いし怖かった~!!!
もう二度と行きたくないっ!
↑一応言っとくけどわたし本当はかなりびびりなんですよね~~
ワンポチで労ってほしいの(`・ω・´)サンキュー!!
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