【怨霊好き必見】京都・悪趣味旅のススメ
寺も神社も抹茶も興味がない!
そんな人にこそお勧めしたい場所が古都にはある。
とっておきの京都悪趣味紀行のご案内('ω')
悲劇と惨劇に括目せよ!【養源院の血天井】
380余人の血と脂をたっぷり吸い込んだ天井が見れるのは此処だけ。血天井は関ケ原の戦いの直前に伏見城を任された鳥居元忠とその城で仕えていた者たちの切腹の跡である。
関ケ原の戦いが終わるまでの2か月間放置された彼らの遺体から染み出た血と脂が手跡や倒れた姿のまま現代に残る。
そのほかにも宗達の描いた像の杉戸絵とかある。確か宗達のポストカードがもらえた(5年くらいに行ったから現在は知らん)
※血天井は撮影禁止
ググれば写真が出てくるので興味がある方はドゾ。
【そうだ、三大埋葬地を巡ろう】
埋葬地の説明はリンクの記事の下のほうにあるのでチャケラ!
鳥葬の場所。当時は地形的にも容易に人が近づける場所ではなかった。清水寺に行くためには鼻がひん曲がるほどの悪臭に耐えなければならなかったとか。
清水寺に面した東大路から坂道を下がったところにある六道珍皇寺は冥土の入り口とされていた。
小野篁が冥土通いしたと言われる井戸も現存している。あの世への入り口って提灯が粋だねえ。逝き…かな…?
この界隈の轆轤町(ろくろちょう)は髑髏が訛ってろくろに代わったという話があるほど周辺は死が充満した土地だった。地名や現存している建物が当時を語ってくれている。今では死体なんて転がってないから安心してね。幽霊もいない。この辺りに住んでた私がいうわよ!
個人的におすすめしたい土産物は幽霊子育飴。
450年以上も営業してるド老舗の飴屋でその味は至ってシンプル。べっこう飴だね。舐めたくないなら料理に使えばいいじゃない!
幽霊子育て飴の由来
今は昔、慶長四年京都の江村氏妻を葬りし後、数日を経て
土中に幼児の泣き声あるをもって掘り返し見れば亡くなりし
妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜なよな飴を
買いに来る婦人ありて幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと。
此の児八才にて僧となり修行怠らず成長の後遂に、高吊な僧になる。
寛文六年三月十五日、六十八歳にて遷化し給う。されば此の家に販ける飴を誰いうとなく幽霊子育ての飴と
唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とまでいわるゝに至る。
洵に教育の上に、衛生の上に此の家の飴ほど良き料は外に
なしと今に及んで京の吊物の吊高き品となれりと云う。
簡単に言えば夜な夜な飴を買いに来る女を不気味に思って店主が後を追いかけると墓場についた。赤ん坊の泣き声がするから不思議に思って墓を掘り起こしてみると子供が一人。周辺には飴屋の飴が散らばっている。夜な夜な子供を思って死んだ母親が買いに来た飴、それが幽霊子育て飴の由来になったそうな。へー。
蓮台野なら上品蓮台野から船岡山一帯
風葬から火葬まで時代に応じて変化した埋葬地、上品というのは極楽浄土を意味するとか。土蜘蛛伝説の場所でもある。妖怪は専門外なのでスルー。近々に行くつもりなのでそのときに写真を追加する。(アンド記事にして更新するかも)
化野念仏寺
当時は弔う場所ではなく死体を捨てる場所という有様で哀れに思った人々が無縁仏として弔うようになったことが始まりとも言われている。今でも千を超える無縁仏が眠る土地だが一般の墓苑にもなっている。個人的にはここの水子のお地蔵さんがいやにリアルで怖い。水子のお地蔵さんは撮影禁止なので機会があればちろっと眺めてほしい。雨の日だと雰囲気がより素敵なので雨の散策にドゾ。
つら・・・。人生は大切なものだけど大したものではないんだね。
「あだしの」は「化野」と記す。「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往来する願いなどを意図している。
引用元:あだし野 念仏寺
これだけ苔が生えて墓石が朽ちているのだから幽霊もへったくれも無いだろう。でもまあ私達がぼにゃりと想像するしか出来ない時代を生きた死者たちを思い描く時間も悪くなかろう。
想像は人生を豊かにするものだからね!
想像より現実の幽霊だけどね!
ちなみに高台寺でやってる百鬼夜行展は展示数が少ないし微妙だよ!
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↑押せばわかるさ。私の本当の性別とか…な…