【呪詛あります】恨み絵馬を探しに行ったらテンプレみたいな呪詛絵馬を見つけてしまったレポート
パソコン版のブログデザインを変更したキリンお姉さんだぜ!!スマホからのアクセス数が殆どだけどPC閲覧だと注目記事TOP10まで出ていたりするから個人的にはオススメじゃい!という宣伝(/・ω・)/
▼年明けてから死んだ私
2017年に入ってから財布を落としたりその他ドチャクソ面倒な事が起きたりして死んでいたんですよ。毎日がクソ、世の中の全てが輝いて見えると自分が終わったように思える。マズい。これが悪縁ならば断ち切らねばなるまい!という訳で安井金毘羅に行った。呪詛まみれの絵馬探しをしたかったし。
▼昨年の金毘羅宮
昨年に散策した時もなかなかパンチのある絵馬を見つけたけども今回は新年というのもあり、歳末に合わせて古い絵馬はお焚き上げをして処分するため呪詛まみれの絵馬は期待できないだろうなと思っていた。
そんな訳なかったよね。
結論から言うと前回よりヤバそうな絵馬があった。本当にあった怖い話とかで出てくるような絵馬。もうね、テンション上がった。呪いなんてあるわけないと笑って言うような私ではないけれども『いやいやwそんな遠い場所から人を呪うために来るんか~い』とウキウキした。
交通費、宿泊費(日帰りかも)を使って人を祟るための呪詛を絵馬に綴るなんて、神様仏様が本当に人間側の解釈の上で存在してると信じている人がいるようで「メルヘン!」という目で見てる。
純粋な人がいるんだなあという感想ともう頼る相手が神仏相手しかいない、という立つ瀬のない人間模様を想像してしまって世界広しなのは知ってたけど深さもあるなあと。定規では測れない、目視も出来ない、人間模様の波。おもしれええええええ!!!!!!
私なら呪いたい奴が出来たらウマイもの食べて飲んで自分の人生のキャスティングからそいつを外して終わりだよ。嫌な人の行動や発言をシャットアウトすればいいと言う話でそれが難しいから人は心を病んだりする。自分を虐げる人を加虐しろという話でもなくて存在を無いものにする。私の場合は無関心スイッチが入るから恨みたいほど嫌いな人がいない。
神社で手を合わせる人の姿を見て、病魔退散!とか恋愛成就、志望校合格とかそういうのを願ったり祈ったりしているもんだと思ってたけど人には顔が幾つもある。掌を合わせる姿は同じでも念じる内容の毛色は全く異なる。今更書くことでもないけどそういうの本当に面白い。
▼今回の収穫
なんか怖い。強く美しく優しい人間になれるといいね。つ~か失恋で絵馬に書くほどへこんだ経験ないから純粋に羨ましいような気がする。
これ大丈夫か?
誘拐のニュースを観た記憶がないから何とも言えんけど早く帰れるといいなあと半魚人と話した。
?!
どういうこと?
細かい字でびっしり書き込んだ絵馬は前回もいくつかあったね。写真にはないけどこの他にも幾つもこれ系の絵馬があるよ。他の神社ではなかなか見られないよね。
突然の幼女ほっこり絵馬に荒んだ心が浄化された。1年を感謝できるなんて素晴らしいね。ウェイトレスさんになれるよ。
これ系もありがち。 私と同等の苦しみを背負いますようにとか年内に死にますように、一生不幸が降り掛かりますようにとか。ここで祟られた本人が悪縁切りに来た場合どうなるんだろうね。まあどうにもならないんだろうけど。
従業員を大切にする会社最高だな。こういう形の絵馬を見ると安心する。人の善意にほっとするなんて私も人の子なんだなあと思った。
▼これがヤバイ
ちゃんと3人分の写真を黒い画鋲で顔面を刺してる。悪意の色は黒なのかね。吉兆とか神の使いとして烏や黒猫を有り難がる事もあるし、パワーストーンだとオニキスや天眼石と言った黒系の石は守護石だったりする。
裏面にも書いてあった。とにかく3人を恨んでるのはよくわかった。神仏が本当に存在するなら恨み呪いを聞き届けるタイプもいておかしくない。人間が善人と悪人で区別できたり、幾つかの顔を持っている訳だし神仏の顔が一面でしかあり得ない訳がない。ちなみに私は神も仏もないと思ってる。少なくとも願いを聞き叶える人間以外の存在はない。経験がない、裏付けのある読み物がない。しかし畏怖の念はあったりする。絶対に存在しないとは思わんし。いない証明が出来ないからな(´;ω;`)
庵野のこと知らんけど彼も生まれた時は泣いて喜ばれたり誰かに大事に思われたりしてるんだろうな。そして呪詛を書いたこの人にも同じような記憶があるだろうに。
この2つの絵馬は離れたところにあるんだけど文章が殆ど一致してる。筆跡も似てるから同一人物なのだろうか。なんて書いてるかよく分からん。
う~ん。誰にでも平等な神仏は存在しないんじゃない。君は違う神社に行った方が良さそうだとアドバイスしたい。
前回同様、せっかく来たから一芸に長ける縁を結ぶ的なことを書いた。
切りたい縁を念じながら表から入って繋がりたい縁を念じながら裏から出る。たぶんこの穴は骨太な男性でも入る。ラガーマンとお相撲さんは分からないサイズ。
先行は半魚人。
んで私。
通れた!いえーい!の写真なんだけど貞子だね。キリンなんだけどな。
冬の金比羅、呪怨の陣に行ったら豊作でした。帰ったらブログ書きます。 pic.twitter.com/fzgw21HatJ
— きりん (@jidaraku_91) 2017年1月10日
この写真を待ち受けにすると厄除けになります。嘘です。
▼帰り道に十日ゑびす
祇園歩いてたら賑やかそうだから行ったら十日ゑびすやってた。初めて知った。出店がたくさん出てたし来年は私も笹を買いたい。
混んでたけど楽しかったから行ったことない人は行ったら良いと思う。
▼まとめ
呪われたくないから呪い証明実験が出来ないのが悔しい。以前に本気な呪い代行サイトを見つけて呪いの存在について問い合わせたけど返信がなかった。おそらく、業務妨害的な内容だったから冷やかしとして処理されたんだろうな。商売をしてる人の口から本当の事を聞いてみたいし黙ってろと言われたら自分の知的好奇心を満たすだけで満足するからガチの呪術師さん…繋がってほしい…
絵馬に関して今回は写真を画鋲で刺すという暴力的なものを見られて満足した。呪詛絵馬テンプレの実用版を初めて観た感動。これもまた時代と共に藁人形のように姿を消していくだろう。デジタルと科学に依存しきった時代も楽しそうだけど今くらいの非科学に依存したがる感じは嫌いじゃない。
整合性や論理性に囚われない生き物としての人間を見るのは面白い。人間=知的な生き物みたいな前提をしがちだけど全然そんな事ないよな。私自身も絵馬に出したりはなくとも馬鹿丸出しで生きてますしお寿司シャリ抜き。
自分が動物であることを忘れがち。いやでも言語あるし社会性は少し持ってるし何より食物連鎖の上位。人間ってだけで野生動物よりは気楽…なのか?ん〜〜微妙〜〜〜〜。
おしまい