【歴史の時間】共通認識上の幽霊は存在しない可能性が高い説~~~!!
死後、人は霊にならない可能性の方が高い。
歴史にある幽霊から考察していきましょう('◇')ゞ
いつの記事か忘れたけど幽霊史の話をしたと思うんだ。
今日は前回よりも幽霊を歴史からアプローチしちゃうぞい!
▼幽霊・爆誕
幽霊話が囁かれるよりもずっと昔の人々にとって死後のイメージは曖昧だった。霊魂や精霊に対して素朴な畏怖はあるものの、人々に災いを振りかける元凶としての存在ではなかった。
死者は自分たちを守護してくれる存在として考えていたみたい。このような考え方は日本に古来から神道が中心にあったことが関係するのかもしれない。
▼歴史上初めての怨霊は藤原博嗣である。
彼の死から数年後に飢饉や疫病が流行った。一切の災いは藤原博嗣の仕業だと考えられるようになった。簡潔だがこのような流れで日本で初めてとなる怨霊が誕生したのである。
▼その後、怨霊として朝廷を騒がせたのは早良親王。
彼の死後に訪れた大飢饉や疫病、そして天皇筋の人々の相次ぐ死を招いた元凶は悲運のうちに死んだ早良親王によるものだと人々は考えた。そして疫病や飢饉に最も関わったのは平民たちである。どの時代もピラミッドの下ほど人口が多い、そして怨霊という存在の認識は一気に広がっていった。
ここで出で来るのが神泉苑。
前回にたまたま寄った寺院だね('◇')ゞ
神泉苑のレポはここ▲
▼863年5月20日
祟りを恐れた天皇が彼らのために笛とか舞いを神様に捧げるために御霊会を行った。発想の転換がものすごいよね、怖くて悪い神様のご機嫌を取りたくて色々と派手に雅に行ったんだろうよ。封じてダメならおだててみる作戦だ。
740年に藤原博嗣の死から数年後の疫病と飢饉を理由に彼は怨霊として認知されるようになった。
僅か160年で怨霊は6人まで増えた挙句、精霊や死後の世界に対する印象を変えてしまった。
740年より以前の歴史には怨霊の記録はない。精霊とかはやっぱり考えられていたけど幽霊なんて持っての他なわけ。まして一般人で初めての幽霊は歴史上において遅咲きでしょ?それなのに現代は自殺者でも何でも幽霊の噂は絶えない。おかしいよね?
たしかに平安時代に比べたら日本人の人口は増えたさ。人口に伴い死者の数も右肩上がりで幽霊が増えるまでは分かる。振り返ってから気付いたんだけど初期の怨霊と言われた人々が与えたとされる災いは、人間たちの身勝手なこじつけに過ぎないような気がしてきませんか?
証拠がねーじゃん。証拠が。
怨霊と飢饉にどんな因果関係があるわけ?
人智を超えた存在、あるでしょう。人間が理解できない、実証できていない法則の存在もあるでしょう。その秘密の為に人類は学び、考察し、実験し、 レポートを残す。
解き明かすことが出来なかった問題の解答を未来の人類が白日の下に出す。人智を超えた存在というのはあくまで平行上の世界に存在する人間に過ぎないと思う。
怨霊と災いの関係は人間の理屈にしても乱暴過ぎやしませんかねえ。歴史から洗いなおしてみると一般的な意味での幽霊は存在しないとしか考えられない。もし仮に死後の姿としての幽霊がいないのなら死後に人は何処に行くんだろう。
正直、死後の世界なんてどうでもいいし、人間はみんな死ぬわけだしそれを怖がっても何も解決できない。死ぬ間際を考えると安らかであってほしいと言う願望はあるけどね。
このブログで未だに紹介していない経験談の論考のため、幽霊と異世界の不可思議に今後も迫っていこう。実証ログは幽霊をいろんな見地から考察するぞい。
そんな感じで!いえ~~~い!
呪われたかもしれないけど元気!
呪われたレポートを待て!
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