【蹴上の由来】粟田口処刑場跡地にリベンジしてきたレポート
前回は迷子になって辿りつけなかった粟田口処刑場跡にリベンジしてきたレポート。
前回に更新した廃美術館から信号を挟んだ目の前に処刑場について書かれた看板がある。
ネットで軽くサーチをした限りでは石造なり石碑があるらしいから辺りを見渡すもそれらしきものは発見できず。
看板の裏の階段を登ったら前回迷い込んだ廃屋の道に出たからUターン。階段を降りてさらに山科方面に歩くこと15分くらい。
▼なんか建ってる!!!!
前回来たときに見つけられないわけだわ。これだけヒッソリと建ってるんだもの。外灯もないし何の看板もない。処刑場跡って事を知らなかったら見逃すしなんの為に建ってるのか誰も分からないと思う。
右側の石碑。南無阿弥陀仏と書いてあるのかな?
左側、萬霊供養塔。
帰宅後に調べて分かったんだけどこの石碑は処刑で亡くなった人の供養と言うよりも、明治以降に解剖で使った罪人たちの霊を供養するためのものらしい。しかしこの辺りが処刑場だった事は事実で看板にあった文言によると、磔、獄門、火刑での処刑が行われていたそうだ。
▼磔(はりつけ)
▼獄門
獄門(ごくもん)とは、江戸時代に庶民に科されていた6種類の死刑の一つで、斬首刑の後、死体を試し斬りにし、刎ねた首を台に載せて3日間(2晩)見せしめとして晒しものにする公開処刑の刑罰。梟首(きょうしゅ)、晒し首ともいう。付加刑として財産は没収され、死体の埋葬や弔いも許されなかった。
▼火刑
火刑(かけい)とは受刑者に火をつける、あるいは火であぶることにより絶命させる死刑のひとつ。
う~ん。どの処刑方法も酷く苦痛を伴うのは明白だな。悪い事はしないに越した事はない。
深夜にドライブする時によく通った道の一つだったけどこんな石碑があるなんて知らなかった。もちろん日中に通る時も気が付かなかった。
▼小話
蹴上という地名の由来に処刑場に行きたがらない罪人を蹴り上げて歩を促す場所だったからと聞いた事がある。所説あるんだろうけどね。ちょいちょい怖い、不気味な由来を持つ場所が点々とあるから面白い。
▼まとめ
不気味な雰囲気とかよく分からなかった。心霊スポット的な扱いの場所だけど、夜にこの辺りを彷徨っていた時もそんな印象はなかった。ただ人気のない暗い道に過ぎない。
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