ressentiment、足りてる?

釣りと廃墟とネコ(ホラー映画もたまに)

<胸水の画像あり>猫の肥大型心筋症について知ってることを羅列しながら整理していく

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肥大型心筋症の初期症状は咳、食欲低下。しかし殆どが見て分かるような症状はなく進行し突然死又は胸水、多臓器不全での発見が多い。

 

 

 

発症には年齢は関係なく心臓病に罹る猫のほとんどがこの肥大型らしい。心筋が発達し、伸縮や拡張と言った心臓の働きを阻止する。そして心筋症に完治はない。また子猫から老猫まで年齢に関係なく発症する。

 

 

薬治療で延命をしていく形式でそれは何ヶ月、何年持つかは想定に難しく急変することもある。そして恐ろしいのは投薬治療で飲む薬も猫の臓器へのダメージを与える。

 

 

 

しかし薬の中断=死と直結する。身体に水を溜め込まないように飲むフロセミド(利尿剤)は腎臓への影響が大きい。

 

 

ほとんどの肥大型心筋症は症状が悪化した状況でやっと発見に到る。猫の生命力や治療のタイミング、獣医さんの腕が肝心らしい。

 

 

血栓が出来やすく後ろ足を引きずるようになったら覚悟をしておくべき状況に至ったと捉えるべきだそう。血液の循環が難しくなると人間と同じように失神を繰り返すこともある。

 

 

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デリダはまず遺伝か免疫力か感染症かは不明だが血液循環が滞り、体温が低下して行った。動いていなくても常にマラソン状態で息苦しさはあっただろうが、当時の体温は34度と意識は朦朧としていて獣医曰く「本人は苦しくとも何ともない、雪山で寝たら死ぬぞってシーンあるじゃないですか?あんな状態です」であった。

 

 

その後の検査を進められなかった理由としては書くまでもないが、検査で負担をかけて死なせてしまうよりも住み慣れた我が家で暖かくしてもらい最期の時間を過ごすためだった。

 

 

 

しかし翌日、三毛猫は何とか体温を復活させ生き延びてくれたので大急ぎでクリニックへ。検査、酸素室での休息、胸水を抜く処置を何とかやり過ごした。

 

 

 

ちなみにこの時点で入院を勧められることが殆どだが、私たちの通う病院では1日15000円〜で入院日数は未知数。ちなみに夜間の緊急対応が遅れることもあるのとストレスの少ない自宅で療養する方がこの子は良いかもしれないと言われた。

 

 

 

 

↓こちら胸水。

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胸水は翌日には抜いた200ml、同じ量が戻ってしまう例も多くその場合はまた胸水を抜く処置をするとのことで術後の翌日もクリニックに胸水の確認に行った。

 

 

 

奇跡的に色々と乗り越えた上で翌日も胸水は溜まっておらず、次の診察で胸水が溜まっていなければこのまま投薬継続とクリニックに通う間隔も広がっていくとのこと。

 

 

 

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ただ年に数回は胸水を抜く処置を受ける可能性があり、突然死や血栓で要介護になるかもしれないという可能性は常に日常にある。これは結構、飼い主側のダメージがでかい。

 

 

また猫は腎疾患になり易いというのに投薬がある。長期生存は望めず2〜5年程度であり、現在のデリダは3歳だからどんなに長くても10年は持たないだろうという現実がつらい。

 

 

 

うちにいる三匹ともの老後のジジババ猫っぷりが楽しみで仕方ないのにな。

 

 

子猫は守ってあげたい、若猫は一緒に遊びたい、老猫とはのんびり暮らしたい。

これが私の猫と暮らす上でのスローガンである。そんなスローガンあんのかよって感じかもしれないが、私は基本的に生活の節々で心の隅でスローガンを掲げている。表明したらキリがない。百鬼園キリだけにキリがないのだ。

 

 

 

薬は3種類、1日朝晩とご飯を食べなければ強制給餌と一緒に行う。しかし今朝からカリカリをわりと食べるようになったので強制給餌は卒業した。

 

 

 

投薬の方法は薬を擦り潰してチュールに混ぜて二人がかりの大仕事。シリンジで与えているが、これがまあ難しい。

 

 

 

元気になってきたから嫌がるわ、自慢の胸毛にくっつくはで処方量キチンと今のとこ飲ませるのは至難の技すぎてピルガンやカリカリに潜ませる等の方法を模索したが皿に薬を並べてたら自発的に食べた。ばかである。

 

 

カリカリと勘違いしたのかな?と思い、翌朝も試したところやっぱり食べたのでおやつか何かだと思ってるのかもしれない。

 

 

 

いつも通りに戻ってきたが、獣医は「まだ予断を許せない状況には変わりないので」と言った。ご飯を食べて普段のようにお喋りをしてうんちも健康的になった。でも一安心ではないんだって。

 

 

 

この病気、本当に初期に見つけるのは難しい。定期検診でも見逃されることもあり発症原因も不明で避けようがない。

 

 

 

ちなみに人間にも同じ肥大型心筋症があり、難病指定がされている。人間では運動、塩分を避ける生活が求められるが猫も同じだろうか?まあこの辺りは次回に獣医さんに聞いてみる。

 

 

 

なるべく長生きして欲しい、一緒にゆったり暮らしたい。だけど通院は一生ついて来る。生きる年数だけ、処置の必要な数だけ、万単位でお金が飛んでいく。それが完治のためではなくいつか訪れる死を少しでも伸ばすためだけというのがただ悲しい。

 

 

 

 

いつか生き物は死ぬ。

それは理解しているが「いつか」であって想定の範囲ではない。ある日突然の死というのもあるが近い将来にある死は恐ろしく、また受け入れ難い。

 

 

 

もちろん、デリダが苦しまず気楽に生きていられるまでは通院は続けていくつもりだ。夫婦で話し合ったのは昏睡状態に陥ったり、苦しいだけなのにただチューブを繋いで酸素室に入院して数日生き延びさせるような状況になったら楽にしてあげようと決めている。

 

 

 

しかしそれは本当に正しいだろうか。

いつも一緒に過ごしているけど種族が異なるせいで本人の意思を汲み取ることが出来ない。獣医が勧めて来たらそれだけで了承するべきなのかも疑問になる、猫にとって苦しさとは何だろう。 

 

 

 

 

葛藤の日々が始まった。

しばらく闘病日記をつける事にする。