ressentiment、足りてる?

釣りと廃墟とネコ(ホラー映画もたまに)

【目前】61万PV、記事数は300に揃った時に感謝祭する

 

今日も今日とて百鬼園キリは生きている。

北朝鮮が飛ばしたミサイルどもの経歴を見ては陰謀論を読み漁り、古代文明の戦争と衰退を調べ直して猫を撫でた。

 

 

夏空がまだ残る9月。

今年も残すところあと3ヶ月となった。このように何度もなんども季節と時間の流れを乗り越えて、ついになんの感慨も湧かなくなった、と言いたいところだがこれは完全に呪物に触れた事が原因だ。

 

 

 

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数年前、このブログで書いたが私は藁人形を探し、見つけ、触れた。自我を壊すトリガーを弾いたのは私自身なのだ。呪いによって心身を壊された。

 

 

 

とか言ってみてえな、オイ!

藁人形の発見も触れたことも事実だが自分が鬱に転じて今も甘んじてる原因なんざ分かってんだ、てやんでえ!

 

 

 

このブログを開始した頃から更新し続けた頃まで私は読者が求めるコンテンツは何だろうと深淵に潜り、答えのなさに途方にくれた。

 

 

幸か不幸か私は年齢を重ね、意味不明かつ正体不明な経験値と社会に通用しない方便を育成し続けた。

 

 

コンテンツの在り方も種類も作り手である私が好きにしたらええねん、56すぞおい

遅すぎた再出発。しかし昔の人は言いました、六十の手習い。何でもええ。白人のオジサンは「never too late」といい、論語には「過ちては改むるに憚ること勿れ」とある。

 

 

 

私はこのブログをやっていくにあたり間違った目標を持っていた。大事にしたいのは書き続けること。

 

 

妙な文章を作っては投げてネットという大海に流してはポジティブなものを誰かに届けたい(それが心霊を好むアタイのコンテンツだとしても)。

 

 

それだけだった。

 

 

今日は鬱病になった話をしていこうと思ったが特筆するような事がなかった。3年前くらいに鬱を併発して去年から中等度と言われたものの、薬物治療のみで探していたら今年の半ば頃に完全に深みに落ちていた。

 

 

気付いたら落ちていた、と言う感じ。LINEも返さず日々を過ごすだけで苦痛を感じる、気付けば家事どころか自分の事も無頓着どころか疎かになっていた。

 

 

それでもまあ、3ヶ月ほどしてようやく気持ちが晴れる時がランダムで来るようになった。そしてブログ再開。

 

 

メンタル系のことは闘病日記にするには難しい。だって落ちてる時は自分の事なんか何もできないし、少し元気になれば他のことに時間を使うし(一応は既婚者だしな)、そもそも健忘が酷いのもあって日常を記憶できていない。

 

 

そんなわけで手書き日記をつけようと思った。なんか素敵でいい感じのノートが欲しいぴょん!と奇声をあげながらAmazonをみていくことにする。

 

 

ペンはお気に入りのParker。

まあ随分前から見かけてないけど。

 

 

そんなわけで近々は療養と食で散策した福井、三重、兵庫の話をしていきたい。

 

 

じゃ今日の日記おわり。

 

 

 

 

 

 

 

 

ressentiment、整える。

 

ressentiment、足りてる?を放置して早何年だよというくらい時間が通り過ぎた。どうもお久しぶりでございます、百鬼園キリでございます。

 

心霊のワードのおかげか何年も毎月1000〜2000PVのこのブログ。放置はしてるものの、年に3〜4回くらいは「BANされてないかな汗汗」と覗いてはいた。

 

 

BANはなくてもここにある情報は古ぼけていく。解体済みの廃墟もマンションに生まれ変わったりしている。

 

心ないコメントが時々あったりして「はあ〜〜〜よし寝るか」と放置を加速させていた。それでも「めちゃくちゃ笑いました」みたいな内容のコメントは嬉しくて何年も噛み続けていて味がないはずのガムが今日も美味え。

 

 

近況をまず書くと今年は初めのころに心霊スポットに行っております。というか記事にしてない訪問はあって今でも「おい、幽霊捕まえるぞ」という意気込みという炎は消えていない。これは永遠にあるだろうね。

 

幽霊探知機の類も多様化して身近になり使ったりしていたけど実体は今でも靄の中。興味の対象の一つは今も追いかける対象のまま。私たちもいずれは死んでいく。見送った人もいる。遠くない将来に見送らなければならない人もいる。私たちのいく先はなんですか。

 

ってなるだろうが!!!!!!

 

 

メンタル的なことについては相変わらずプロ精神科患者と相成りました。サンキューべりマッチね。藁人形触ったりしてたから呪われたんですと書けばおもろい感じになるかもしれないけど体感として自分の性格形成の時点で社会とズレがあって、そこを意識して生きているうちに自滅したタイプね。

 

 

 

どの年代の時も自分の限界に気付かず走り続けて靴はとっくに壊れて足の裏も傷だらけ。それでも気付かずに走って風から体を守る衣類もなくて髪の乱れも息苦しさも忘れて取り憑かれたように「当たり前の日常」というあやふやなものの演者として失格の烙印を得た。

 

コンプ癖がある自分としては変なバッチもらった!やったね!

不自由も楽しいこともあるね、この立場だから気付くものもあるな。今は調子がいいから言えるだけなんだけど根本には「いいじゃない、いいじゃない。悪いことはしてないんだ。猫はかわいい」ということだけ。

 

 

いろんな人の言葉に救われて文章の中に胸に落ちるものがあって、人様に迷惑をかけて私は今日も生きている。そして今日から日常にブログを再開させる。

 

 

心霊については思い出した時にポツポツと漏らしていく。

それでは改めてよろしくお願いしまああああああああああああす!!

 

なんか知りたいとかこれ書けとかあったらコメントかTwitterにどうぞ。

 

 

 

終わり

 

 

 

ペット葬儀会社さんってすごいなと思った話とか色々

ちゃっす!フコが逝ってから早いもので2週間が経過しました。

前回更新したやつのもちょい濃い感じで書いていきたいと思います。

 

ペット葬儀会社

いろんな会社があって料金やオプションも人間同様で多様化していて、なんなら受付時間も24時間体制で驚きました。いや〜だってこんなにすぐ手配出来るもんだと思わなかったもん。電話してある程度のオプションとやりたい事を述べて料金説明してもらって、日程決めて終わり。

 

大阪はもう夏日に近いのもあるし、冷蔵庫に保管できるほど小さくないしアイスノンだけでは心細い大きい猫なので死後から24時間が経過する翌日の夕方に来てもらった。

 

 

火葬炉を乗せたワゴン車は時間通りに来た。

 

「大変、ご愁傷様です」

名刺を渡してくれた初老の男性はオプションの説明とサービスでつけているという骨を少量だけ持ち歩くストラップ(?)と顔写真のストラップから2つ選んで下さいと言うのでストラップ2つにした。持ち歩くのも骨を見るのも受け入れられないと判断したからお骨上げも出来ませんと言った。

 

 

それからは前回書いたように生前の体を清める所謂、清拭を私とオットでやった。その次に末期の水、死水を強い綿棒みたいなやつでお口をチョンチョンと濡らした。そして可愛らしい数珠を渡されて手に通してあげてくださいと言われたままに通した。

 

 

「それではお家での最後のお別れとなります。私は車に移動います。お別れの言葉をかけたりやりたい事をしてください」

 

フコと私とオットの二人と一匹になり、さっきまでと同じように撫でてキスをした。本当に逝ってしまうんだなと思った。

 

家にはまだ阿呆な白黒猫とか弱き乙女の三毛猫がいる。でもそれぞれが違う芳香を持ち、撫でた感触も異なる。私は一番最初に猫の柔らかさや匂いを知ったのはフコだった。いつまでも忘れたくないと思って固くなった肉の上にある毛を何度も何度も撫でた。

 

体勢の問題もあって額にキスは微妙にズレたけど何度も何度もいろんな場所の匂いを嗅いだ。絶対に忘れないよ。死なせてしまって本当にごめん、血栓が詰まる前にもっとなんか異変があってきづけたらと後悔が何度も押し寄せる。

 

段ボールにすっぽり収まったフコを抱いて玄関を出ると夕方ならではの日の傾きが妙に心地よかった。初夏になるんだと思った。陽の方向にフコを向けて「こんな日に日向ぼっこするのが好きやったな」と話しかけた。

 

 

火葬炉にフコとお花と大好きなおやつを入れた。

「では最後のお別れです」と言われた時、たまらなくなってまた撫でてキスをした。オットも同じようにいていた。そして火葬炉は閉まり1時間後程度にまた訪問しますと言って見送った。

 

 

人間の葬儀や火葬より簡易的だが同じ手順を踏むこと、仏様になるってそういうことなんだなあと思った。ちなみに私は仏教ではなく神道なのでまあ死後の世界はマルチだと言うことで彼女の好きなようになってくれたらいいと願った。

 

1時間後、骨壷(見慣れた?あの袋に入ってるやつ)を受け取った。小さくはなったが重たかった。きっとでかい骨が入ってるんだろうなとなんとなく思った。あいつは骨太で元気でいつまでも赤ちゃん気分で独占欲と愛情深い黒猫で私はとても彼女が好きだった。

 

 

 
 
 
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早朝に「布団に入れろ」と頭や布団をカシカシされるとウザいししつこい!と何度も思ったがそれ以上に何度も愛しいと感じていた。そんな存在がいなくなってしまう寂しさは言葉にならない。寂しい、侘しい、苦しい。

 

 

 

無理矢理にでもいい話ばかりを思い出そうと思った。だって死は生の終着点だけど経過は絶対に大事じゃん。終わりよければ全て良しってのはそれ以外がクソだった場合にのみ適用すると思ってる。

 

 

49日の法要もきちんとやる。私が何もかも終わった、人生終わったと思った頃にやってきた猫なので猫とはいえ恩人で大好きなので。

 

 

しかし心の片隅というかまだまだど真ん中に彼女は鎮座していますが日常に戻りつつあります。ああやだなあ、こんな日常に慣れたくね〜つの!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 次回はデリダの検診でも更新しようかな〜。

廃墟行こうって誘ってるんだけどコロナのおかげで誰も乗ってくれねんだよね〜

は〜。生きねば。