肥大型心筋症の急性期を迎えて1ヶ月が経過するので前回の診察とまとめ
先日、通院日でした。
何と胸水は全く溜まっておらず腎臓の数値も健康そのものと言う結果に!
水を飲むこと、排泄をすること。この循環が自分で出来るので利尿剤を卒業しました。とは言え次回の診察で胸水があれば利尿剤の再来になります。今のところ2週間に1度の診察サイクルで普段は病気になる前と変わらない生活をしています。
そのくせもう「おやつ」としても食べたくないみたいなのでどうしようもねえ!カリカリに混ぜて鰹節しても無効化されるし粉薬難しいわ!!!!!!!せめて薬用ちゅーるだけでも食べてくれれば楽なのになあ
— 百鬼園きり㊗️㊗️㊗️㊗️ (@jidaraku_91) 2020年10月27日
ただ薬は2種類になり一方は粉薬です。ピモハート(錠剤)で心臓を動かしてもう一つの薬(名前忘れた粉薬)で心臓が動き過ぎないように調整すると言うものです。なので猫同士でちょっと戯れあう位で息が上がっていたのに今はそれもなくなりました。
多頭飼いなので猫の排泄の管理が難しくてウンチは個性があるんだけど尿ばかりは分からず、猫部屋と人間の部屋の行き来をしていたんだけどやっぱりデリダは猫と過ごすのも猫部屋にある椅子が好きで私もその部屋でほとんどの時間を過ごすので完璧に管理は出来ていないなあと反省しつつ、私がデリダだったらどうしてもらいたいだろうと考えて基本的には好きにさせています。
流石にはしゃぎ過ぎていたり負担かかり過ぎでは?となれば人間部屋に移動しておやつで甘やかしてって感じです。こんな病気になって欲しくなかった。
だけどこの病気になってから毎秒、見るたびに、デリダが喋る度に愛おしさが募る。そして私はこんなにも生き物を愛することが出来る人間だったのかと知る。
私の大好きな内田百間先生の本で「ノラや」を最近はよく思い出しています。あの百鬼園先生の無骨な愛と愛猫との別れ。読後の感想と今の感想は全くの別物に変わる。
人生はやっぱりいろんな事が起きた方がいい。苦労は買ってでもしろと言うけど苦労はさようなら、多角的に物事を見ようと思いながら思考狭窄しがちな私は物語で想像をするより経験から読めるものが増える愚者タイプだなと実感。
うちに来た猫たちはみんな縁があった子たち。
共に良い人生を過ごしていきたいと強く考えさせられる。
私は猫たちのことが大好きでそれは片思い、あるいは下僕としての関係かもしれないが時々に猫も大概、私の事を好きだよなと思う時がある。腕枕をされて幸せそうにうたた寝、こんな所よりモフモフしたものもあるのに選んでそばに来てくれる時は嬉しい。
猫は人生、人生は猫と共にある。
いや!わっしそんな猫好きじゃないと思ってたんだけどね!
大好きだわ、猫。
まとめ
・デリダの経過は良好
・でも心疾患なのでいつ何があるかは分からないよ
・猫もみんな素敵な人生を送りたいよね
そんな感じ。
ではまた!