『夜は短し歩けよ乙女』を観て来たから感想とか原作の話をする!ネタバレはしない!
『夜は短し歩けよ乙女』とは森見登美彦原作のアニメーション映画である。キャラクターデザインは同作家、森見登美彦による四畳半神話体系を手掛けた中村佑介、監督は湯浅政明。アニメ四畳半の世界観が再び味わえる!ということで見に行ってきた。
特典で劇中の後の世界、先輩から乙女に向けた手紙を貰える。これは前半と後半で種類が分けられており後半は乙女から先輩に向けた手紙を読める。うれぴ~!
▼あらすじ
後輩に片思いを寄せる先輩が大酒飲みで華奢な少女にストーキング紛いな事をしたりする気持ち悪い恋愛模様を描いた作品である(褒め言葉)。京都を舞台にヘンテコな学生たちと妖怪、李白を主軸に物語は動いて行く。様々な人物が線と点になっており話のテンポは良く原作、映画ともに面白い。
物語の節々で繋がっている人物やお店は『夜は短し歩けよ乙女』に限った話ではなく森見作品は見落としてしまいそうな部分で各作品で繋がりがある。下鴨幽水荘は摩訶不思議なボロアパートだが住めることなら住みたい。そこに変がある限り願ってやまない。
ちなみにナカメ作戦とはなるべく彼女の眼にとまる、という作戦で乙女の行く先に出掛けては偶然を装うという作戦である。お知り合いになりたい、声をかけたい。だけど日本男児たるもの出来ない。とにかく顔を覚えてもらおうと偶然の先を想像し期待する先輩。そんな事は知らぬ存じない乙女は堂々、夜の街を闊歩する。あらゆる人生と恋愛模様を歩いていく。そこにお酒がある限り。
とまあ、森見作品大好きマンである私からすると今回の映画はハッキリ言うとあんまりおもしろくなかった。というのも森見作品の特徴である独特の言葉のセンスとかあんまり…うん…という感じだった。しかし考え方によっては最高な作品なのかもしれない。
というのも監督や映画版の脚本を書いた人達が読んだ夜は短し歩けよ乙女のイメージを覗き見ているのだ、と思うと不思議な感慨がわいてくる。他人の読書体験を味わえるのだ。読書はひとりでするもの、それゆえに語り合う友人がいない私からすれば言い回しや先輩の雰囲気、乙女の所作で語り尽したような気持ちになる。
ちなみに原作とは細々と内容が異なる。
ひとつひとつを挙げるとネタバレになるから割愛するけど少し寂しかった。あと偏屈王のところ長すぎ。本ではそんな事は思わなかったんだけどなあ。
古本の神が小津にそっくりなのも見どころ。むしろ小津って何者だったんだろうな。
世には大学生になれば恋人がいるという悪しき偏見がある。しかしこれは話が逆なのだ。「大学生になれば恋人がいる」という偏見に背を押された愚かな学生たちが、無暗に奔走して身分を取り繕い、その結果、誰にもかれにも恋人がいるという怪現象が生じる。そのことが、さらに偏見を助長する。
先輩というやつは少し頭が湧いている。というか初期の森見作品の主人公は大体頭が湧いていることが多い。京大の雰囲気をうまく書き起こせているとしか言いようがない。吉田寮やキャンパスの混沌さのなかにこんな物語があったら本当に面白いよね。
虚心坦懐に己を見つめてみるがよい。私もまた偏見に背を押されていただけではないか。孤高の男を気取りながら、その実、恋に恋していただけではないのか。恋に恋する乙女は可愛いこともあろう。だがしかし、恋に恋する男たちの、分けへだてない不気味さよ!
この一遍とか最高。それ以外にも桃色ブリーフだとかそういう言葉をよく思いつくものだと感心してしまう。本当に臭そうだしイケてない大学生の迷走が面白おかしい。男女関係なく迷走している期間というのはあるし、なにかと物事を考えたくなる時期というのはある。それゆえに自己投影してしまう事も多々ある。物語は広く1冊が終わってもまたどこかの短編で彼らの影を見つけられる。そういう意味でも森見作品が好きなのだ。
映画について色々語ろうにもネタバレをしない!と書いた以上、書けることはもうない。従って続編として森見作品オススメコレクション記事をお送りする。
更新を待て!
おわり